大判例

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大阪高等裁判所 平成6年(ネ)292号 判決

控訴人(附帯被控訴人)

右代表者法務大臣

前田勲男

右指定代理人

白石研二

外一〇名

被控訴人(附帯控訴人)

全国税関労働組合大阪支部

右代表者支部長

国分雅治

外六一名

右六二名訴訟代理人弁護士

宇賀神直

細見茂

鈴木康隆

吉岡良治

青木佳史

財前昌和

主文

一  控訴人の本件控訴に基づき

1  原判決中被控訴人らに関する部分のうち、控訴人敗訴部分を取り消す。

2  被控訴人らの各請求をいずれも棄却する。

二  被控訴人らの附帯控訴をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は、第一、二審とも、被控訴人らの負担とする。

事実及び理由

第一  当事者の求めた裁判

一  平成四年(ネ)第二二六五号事件について

1  控訴人

(一) 原判決中被控訴人らに関する部分のうち控訴人敗訴部分を取り消す。

(二) 被控訴人らの各請求をいずれも棄却する。

(三) 訴訟費用は、第一、二審とも、被控訴人らの負担とする。

2  被控訴人ら

(一) 控訴人の本件控訴を棄却する。

(二) 控訴費用は控訴人の負担とする。

二  平成六年(ネ)第二九二号事件について

1  被控訴人ら

(一) 原判決中被控訴人らに関する部分を次のとおり変更する。

(二) 控訴人は、被控訴人全国税関労働組合大阪支部に対し、五五〇万円及び内五〇〇万円に対する昭和四九年七月三〇日から支払済みまで年五分の割合による金員を、その余の被控訴人らに対し、右各被控訴人らに対応する本判決添付の別紙債権目録総合計欄記載の各金員及び同目録小計欄記載の各金員に対する右同日から支払済みまで年五分の割合による金員を、各支払え。

(三) 訴訟費用は、第一、二審とも控訴人の負担とする。

(四) 右(二)につき仮執行の宣言。

2  控訴人

(一) 被控訴人らの附帯控訴をいずれも棄却する。

(二) 附帯控訴費用は、被控訴人らの負担とする。

第二  事案の概要

本件事案の概要は、次のとおり訂正、付加、削除するほかは、原判決の「事実及び理由」中の「第二 事案の概要」欄記載のとおりであるから、これを引用する。

一  原判決一八頁目五行目の「原告番号1ないし70の各原告」を「被控訴人組合を除くその余の被控訴人ら」と、同行から同六行目にかけての「及び65」を、「、65及び69」と、それぞれ改め、同行の「各被承継人、」の次に「右各被承継人並びに」を付加し、同行の「9、」と、同行から同七行目にかけての「、65」を、それぞれ削除し、同行から同八行目にかけての「原告全国税関労働組合大阪支部(以下、原告組合という。)」を「被控訴人組合」と改め、同一〇行目の「蒙ったとして」の次に「(原告番号9、65及び69についてはその被承継者の死亡による相続で承継)」を付加する。

二  同一九頁目一〇行目の「10ないし64及び66ないし70の各原告」を「10ないし12、14ないし23、26ないし32、34ないし40、43、46、48、50ないし52、54ないし57、59ないし64、66ないし68及び70の各原告」と改める。

三  同二〇頁目一行目の「及び」を「、」と改め、同二行目の「死亡)」の次に「及び原告番号69亡中川和彦(平成六年三月一六日死亡)」を付加し、同四行目の「原告清水妙子」から同五行目の「相続」までを「被控訴人清水昭治(兄)が相続(一二分の一)」と改め、同九行目の次に行を改めて、「亡中川和彦は平成六年三月一六日死亡し、被控訴人中川福予(妻)、同中川由貴(長女)及び同中川聖子(二女)の三名が相続により権利を承継した。」を付加する。

四  同二七頁目五行目の「番号9及び65」を「番号9、65及び69」と改める。

五  同三〇頁目二行目の「認否をしていない」から同三行目の「認めるべきである。」までを「認否をしていないが、その不正確な点を種々指摘しているものであるから、これを争うものである。」と改める。

六  同三二頁目九行目の「差別」の次に「(「差別」とは、被控訴人組合員であることや正当な組合活動をしたことを理由に差別したことをいうものであり、正当な理由による差別は含まないものとする。以下「差別」という場合は同じ。)」を付加し、同四三頁目六行目の「千船」を「千舟」と改める。

七  原判決添付の別表1及び同2のうち、原告番号24田中弘子及び同53上西弘に関する部分並びに同別表3のうち、同53上西弘に関する部分を、それぞれ削除する。

八  控訴人の当審での主張は、本判決添付の別紙の「控訴人の主張」〈省略〉記載のとおりである。

九  被控訴人らの当審での主張は、本判決添付の別紙の「被控訴人らの主張」〈省略〉記載のとおりである。

第三  争点に対する判断

(争点一〔格差の有無〕について)

一  被控訴人らは、原判決添付の別表1、2〈省略〉記載のとおり、被控訴人組合員らと同期入関者との間で給与格差が存在する旨主張する。

二  右各表が作成された経過及びその内容に不正確な点があることは、原判決一三〇頁目三行目の冒頭から同一三二頁目三行目の終わりまでの記載(ただし、同一三〇頁目七行目の「同常田邦男」の前に「原審における」を、同一三一頁目四行目の「原告常田邦男」の前に「原審及び当審における」を、同頁八行目の「考えられないこと」の次に「(被控訴人常田邦男は当審の本人尋問において、右の者らは快く右事情聴取に応じてくれた趣旨の供述をしているが、これを裏付ける的確な証拠はなく、信用できない。)」を、それぞれ付加する。)のとおりであるから、これを引用する。

そして、右引用にかかる証拠によれば、対象各同期入関者は全員が網羅されていないこと、本件係争期間(昭和四〇年一月一日から同四九年三月末日まで間)の当初において、被控訴人組合を除くその余の被控訴人ら(ただし、承継者についてはその被承継者)と各対象非原告組合員との間で既に格差が生じていること、被控訴人らが対象外非原告組合員とした者(同人の昇給等は、右被控訴人ら各人よりも低く、又はほぼ同等程度である。)がいるが、被控訴人らが対象外とした事由は、長期病気休暇を取っている者、勤務地が地方ばかりである者、元被控訴人組合員であった者、右組合の脱退が遅れた者、脱退後も第二組合に加入せず被控訴人組合の活動を支援していた者であることが認められ、更に右各別表(その作成の資料や根拠等)には、本判決添付の別紙の控訴人の主張の第五、二、2ないし4、第六、三、2に記載の不正確な点等が多々あることが認められる。

三  ところで、被控訴人らの本件損害賠償請求の趣旨は、被控訴人組合を除くその余の被控訴人ら各人(ただし、承継者についてはその被承継者)については、同人ら各人がそれぞれ、本件係争期間中において、大阪税関長から、被控訴人組合員であることや同組合の正当な活動をしたことを理由に不当に差別されて、前記別表1記載の各対象非原告組合員のうちの最低の昇給等の者とその各勤務成績が同等又はそれよりも高いにもかかわらず、同人よりも低い昇給等に処遇されて、物的又は精神的損害を被った旨主張するものである。そうすると、右各請求が理由があるか否かについて判断するためには、右被控訴人ら各人について、その個別に当たって、その各対象非原告組合員らのうちの被控訴人らが最も低い処遇を受けていると主張する者との格差の有無及び同人と勤務成績が同等か否かについて検討をせざるを得ないものである。しかして、後記争点二の判断において説示のとおり、税関職員の昇給等は各人の勤務成績によって処遇され、一般にその採用資格や勤務年数が重視される(ただし、後記説示のとおりこれのみではない。)運営がなされているものであるから、被控訴人らが採用資格(学歴等)の同じ同期入関者のうちの非原告組合員を対象者として選んだのは相当であるところ、別表1記載の内容については不正確な点があるけれど、前記認定の諸般の事情等を総合して考察すると、被控訴人組合を除くその余の被控訴人ら各人(ただし、承継者についてはその被承継者)が本件係争期間中右別表1記載のとおり昇給等の処遇をされ、これは、右別表1において対象者として選択した同期入関者の非原告組合員のうちの最も昇給等の低い者よりも低い処遇であると一応認め得ないでもないところである。

してみれば、この場合、右被控訴人ら各人が右最も昇給等の低い対象非原告組合員と同等の勤務成績があったことを立証(なお、後記説示のとおり、昇給等は過去の勤務成績を総合評価してなされるものであるところ、前記認定のとおり、本件係争期間の当初において既に右被控訴人らと右対象者との間に格差が生じており、これが本件係争期間中の昇給等〔格差の発生〕に影響を与えていることが推認できるから、右当初の格差が生じた理由等も探索し、右格差が始まった過去に遡って勤務成績の同等を立証する要がある。)するときには、一応大阪税関長の右差別が推認できるものであるから、この限りにおいて、別表1の格差の存在の認定は意義があるものである。

ところで、被控訴人らは、被控訴人組合を除くその余の被控訴人ら(ただし、承継者についてはその被承継者)を全体とし、あるいはグループ毎に区分して非原告組合員と対象した格差を主張する。しかし、昇給等の格差は主として各人の勤務成績の良否によって生じるべきものであって、各人の格差が不当違法であるとするためには各人の勤務成績等を個別にこれと同等の勤務成績等の者と比較するよりほかなく、したがって、右比較を全体的、集団的になしても、その結果からは直ちに右各人の格差が不当違法であるとの結論を導き出すことはできないものである。もっとも、右比較を全体的、集団的になした結果(その一般的な傾向等)は、大阪税関当局の差別を推認できる資料となり得る余地はある。しかし、前記認定のとおり、別表1の記載内容は、対象非原告組合員が網羅されていないこと(前記証拠によれば、右除外された人数は決して少ないものではないことが認められる。)、対象外非原告組合員の対象外とされた事由は、控訴人が別紙の控訴人の主張の第六、三、3において主張するとおり、曖昧で恣意的であるとの非難を免れず、右事由(比較外とすることが納得できる詳細な内情等)を裏付ける的確な証拠はなく(被控訴人常田邦男は原審での本人尋問において右事由を供述しているが、これを裏付ける的確な証拠はないから、直ちに採用できない。)、仮に右対象外非原告組合員に被控訴人ら主張の各事由があることが認められるとしても、右当局が右各事由だけを根拠にその昇給等を劣位に処遇したことを認めるに足りる証拠はないから、右対象外非原告組合員を比較の対象外とするのに合理的な理由があるとはいい難いこと、本件係争期間の当初において格差が既に生じていて、これが本件係争期間中の格差に影響を与えていることが推認できるところ、本件係争期間だけの格差を比較すると、右当初の格差の事由が十分検討されないまま比較されるので、その結果は格差によって生じた事由を正確に裏付けているとはいい難いこと、前記認定のとおり右表の作成資料等にかなり不正確な点があること等を斟酌すると、被控訴人ら主張のとおり、右表から対象外非原告組合員を除外する等して、全体として俯瞰し、又はグループ毎に区分して比較検討しても、真の全体像や比較が見出せるものではなく、却ってこれを見誤るおそれがあるので、これを右当局の差別の推認資料となすことは妥当でないものといわねばならない。したがって、この点についての認定判断はしない。

(争点二〔差別意思の存在〕について)

一  被控訴人組合の分裂と大阪税関当局の関与の有無について判断する。

1(一)  右分裂の経過等の概要は、原判決一五六頁目四行目の冒頭から同一七六頁目五行目の終わりまでの記載(ただし、原判決一五六頁目四行目の「1」の次に「(一)」を付加し、同一五七頁目二行目から同三行目にかけての「原告平野卓也、同二神守」を「訴え取下前の原審原告平野拓也、被控訴人二神守」と改め、同一六三頁目四行目の「これ以外」から同五行目の「証拠はない。」までを削除する。)のとおりであるから、これを引用する。

(二)  そして、右引用にかかる書証に乙八七、三〇八二ないし三〇九一、三〇九七ないし三一〇四、三二〇〇ないし三二〇八、証人伊藤守の証言(第一、二回)及び弁論の全趣旨を総合すれば、右分裂の経過の内情等について更に次の事実が認められる。

(1) 組合分裂に至るまでの活動状況

イ 昭和三三年以前の活動状況等

被控訴人組合は、前記結成当時は、税関職員の賃金の値上げ、夏期手当及び期末手当の支給などの生活の向上、人員の増員、庁舎、備品の整備などによる労働条件の改善、勤務評定の撤廃を闘争の中心としていた。ところが、昭和三三年五月、全税関労組が総評へ加盟したのを契機として、下部組織である被控訴人組合も日米安全保障条約(以下「安保条約」という。)の改正阻止、警察官職務執行法改正反対、公務員法改悪反対などの政治的な闘争に積極的に参加するようになった。

ロ 昭和三四年、同三五年の活動状況

昭和三四年に入り、社会状況は、同三五年六月の安保条約改定をめぐって激しい右条約阻止闘争が展開されるところとなり、総評は、安保条約改定阻止、内閣総辞職を求めて、同三四年一二月一〇日の政治ストを決定し、その後同三五年六月四日同ストを決定した。これに対し、政府は、公務員は政治ストに参加することは許されないとの声明を発表し、政府関係労働団体にこの旨通知した。しかし、全税関労組中央執行部は、「安保体制打破統一こそ勝利への道」とし、昭和三五年六月四日、一五日及び二二日に勤務時間内に食い込む職場集会などの統一行動を行うよう各支部に指令し、被控訴人組合においては、同三四年一一月二七日、安保条約改定阻止統一行動の集会及びデモに参加したのを始めとして、同三五年六月二二日までの間、一〇回にわたり同様の集会やデモに参加したほか、全税関労組中央執行部の右指令を受けて、職場集会を三回(延べ九職場)開催した。そして、昭和三五年六月一三日、被控訴人組合においては、六月一五日の安保条約改定阻止等統一行動について「六・一五へ力を結集しよう。」と呼び掛け、これに対し、大阪税関当局が、右行動が、勤務時間内に食い込むものであったことから、執行部に対し違法行為を行わないよう、また、もし違法行為が行われた場合は処分の対象となる旨警告し、その旨を職員に周知させた。しかるに、六月一五日、被控訴人組合は大阪税関本関において、朝の勤務時間内に食い込む職場集会を開催し、同日、富島出張所においても、同様に勤務時間内に食い込む職場集会を開催し、更に、梅田及び大阪外郵出張所においても同様の職場集会を開催した。右当局は、昭和三五年七月九日、前記六月一五日の職場集会の開催に当たり、勤務時間内に食い込む職場集会に参加し、あるいは参加を勧誘した組合員らに対し、警告書を発した。同警告書には、今回の統一行動の実施については、先の警告を無視した勤務時間内に食い込む職場集会を敢行したもので誠に遺憾なものであるが、今回の統一行動が全税関労組中央執行部の指令に基づくものであり、かつ、職場大会に参加しても勤務時間までには職場に復帰しようと努めたと思われる点が窺われたので、今回に限り処分は行わないが、今後再びこのような行為を行った場合には処分するので違法行為を繰り返さないよう厳重警告する旨記載されている。全税関労組は、昭和三五年七月の定期大会において、安保条約反対闘争と合理化反対闘争を一体のものとしてとらえ、政治的狙いと相互の関連を明らかにして、闘争に結集した力を、民族の独立、解放を勝ちとるための政治勢力へと高め、結集していくことを決定し、政治闘争への更なる傾斜を強めていくとともに、闘いの基礎は職場であるとし、職場闘争の強化を図っていった。

被控訴人組合においては、同年九月一五日午後三時三〇分から、労働三権の奪還、ILO条約批准、国公法改悪反対等を要求して約一二〇名の組合員が集会及びデモに参加したほか、同月三〇日、同年一一月一五日にも同様に集会及びデモに参加した。

ハ 昭和三六年の活動状況等

① 春闘

全税関労組は、昭和三六年二月の中央委員会において、春闘方針として、合理化反対闘争を春闘の最重要課題とし、アメリカ帝国主義と独占資本を主要な敵であるとして、搾取と収奪を強め戦争をもたらす合理化に絶対反対との姿勢で、合理化反対の実力闘争を行うよう指令した。右指令を受けて、被控訴人組合では、昭和三六年三月四日の春闘第一波統一行動及び同年五月二五日の春闘第五波行動として、大幅賃上げ、ILO条約批准及び国公法改悪反対等をスローガンとしたデモを計画し、これに組合員らが参加したほか、同年四月二五日、国公法改悪阻止第三波統一行動として港湾共闘とともに早朝職場集会を開催した。

② 被控訴人組合の定期大会

昭和三六年七月一三日に開催された組合の定期大会の議案書のなかに、「最近の政治情勢と私達の活動方向」と題する記述があり、それには、「組合の活動対象を縮小しようとする一部の要請が相手側のPRにも乗せられ、政治活動反対の形で批判として提出される傾向がある。労働組合は政治団体ではないから、政治オンリーの問題は論外として、政治的性格を持った問題であっても、それが組合に対し影響を及ぼすものである限り、これを組合活動の対象として取り上げることは当然であって、われわれの組合においても各機関において盛んに論議された結果、既に解決済みの問題である。」と述べられて、政治的性格を持った問題でもそれを組合活動の対象として取り上げるのは当然であるとの決意を固めた。これに対し、右定期大会の当時、被控訴人組合の内部に政治闘争を肯定する被控訴人組合の活動方針に異を唱える者があったが、被控訴人組合の執行部は、その活動方針を既に解決済みのものとして、異を唱える者の声に全く耳を傾けようとしなかった。

③ 合理化反対闘争

昭和三六年から貿易の自由化、拡大化に伴い、各地の税関業務量は増加したところ、こうした情勢に対応すべく、税関当局は大幅な増員を行うとともに、税関事務処理体制の簡素化、合理化を図るべく、大阪税関においては、同年一〇月、申告書、許可書等の処理のため、リコピー(湿式複写機)が導入され、更に、輸出入通関業務における計算事務の一元化処理のため、計算センターの設置が構想されたが、被控訴人組合は、「貿易・港湾の関係業者の皆さんに訴える」と題した同年九月四日付け文書を配付し、税関関係業者に対し、輸出入許可書等のコピー方式の採用や計算センターの設置に被控訴人組合とともに反対運動を展開するよう呼び掛け、同月六日、大阪税関当局との交渉がもたれたものの、席上、被控訴人組合側は、「一連の合理化は搾取を強める手段以外の何物でもなく、反対である。」との全税関労組の方針から、リコピー、計算センターの実施は労働加重になり中止するべきだ、実施すればマイナス面が多いなどとして激しくその実施に反対し、右合理化反対闘争を実施するようになった。

④ 秋闘

被控訴人組合では、昭和三六年一〇月一二日午後五時三〇分から、総評主催の「政暴法粉砕、浅沼追悼」などを掲げる府民決起大会及び提灯デモに約三〇名の組合員が参加したほか、同月一七日、一九日及び三一日にも同様に集会及びデモに参加し、同月二六日には、公務員共闘第五次統一行動の一環として、全税関労組中央執行部の指令に基づき、政暴法粉砕、大幅賃上げ等のスローガンをもって、本関車庫前広場に組合員約二〇〇名及び全税関労組神戸支部組合員が参加し、早朝職場集会を開催した。

ニ 昭和三七年の活動状況等

① 春闘

被控訴人組合は、全税関労組中央執行部の指令に基づき、昭和三七年三月二八日昼休みに、本関一階輸出課事務室において全税関労組春闘第四次統一行動の実力行使第一波として職場大会を開催して、賃上げ等の要求決議文を採択し、同年四月二五日昼休みには、公務員法改悪阻止等の目標を掲げ、本関分会、監視部分会及び在阪出張所各分会において一斉職場集会を開催したほか、同日、定時退庁を実施した。

② 被控訴人組合の運動方針

被控訴人組合執行部は、昭和三七年度の運動方針の一つとして、「低賃金等の悪条件の根源は、自民党の軍国主義復活政策であり、独占資本中心の経済高度成長政策である。その背景にはアメリカ帝国主義との安保条約があり、これを解決しなければ要求は進展せず、政治的な性格を持った問題にも力を注がねばならない。」と述べ、経済的闘争と政治闘争との結合を深めて行くことを確認した。しかし、当時、「今の組合は政治闘争をやるからついていけない。」という組合員もいた。そして、昭和三七年七月の定期大会において選出された被控訴人組合の執行委員一五名のうち六名が、健康上又は家庭の事情等を理由として役員を一斉に辞退する事態にもなった。

③ 秋闘

被控訴人組合では、右運動方針に基づき、昭和三七年一〇月二三日、公務員共闘主催の日韓会談粉砕などのスローガンを掲げる秋闘第一次統一行動としての集会及びデモに、組合員らが参加したのを始めとして、同年一一月一三日及び同月二七日にも同様の集会及びデモに参加したほか、同年一二月一四日には早朝職場集会を開催し、定時退庁の後、同様の集会及びデモに参加した。

ホ 昭和三八年の活動状況等

被控訴人組合では、昭和三八年三月一日、扇町プールで開催された、公務員共闘主催の日韓会談粉砕などのスローガンを掲げる春闘第二次統一行動としての集会及びデモに、組合員らが参加したほか、同年九月一六日、公務員共闘主催の第五次統一行動としての地域集会に、一九名の組合員が参加し、賃上げ要求、ILO条約即時批准、国公法改悪反対等を決議し、デモ行進を行った。また、同年一〇月一三日には、原子力潜水艦寄港反対、F一〇五D水爆機配備反対、伊丹空港軍事使用反対等のスローガンを掲げた日本平和委員会主催の総決起大阪大会平和を守る大統一行動に、同年一一月一九日には、合理化反対、公務員法改悪反対、安保条約破棄、原子力潜水艦寄港反対、池田内閣反対等のスローガンを掲げた総評主催の秋闘第二次統一行動に、それぞれ組合員らが参加してデモ行進を行った。

ヘ 昭和三九年の活動状況等

被控訴人組合では、昭和三九年一月二九日扇町公園で開催された統一行動大阪集会に、組合員五〇数名が参加し、日韓会談粉砕、原子力潜水艦寄港阻止、F一〇五D水爆機配備拒否等を決議してデモ行進を行った。更に、同年九月三日扇町公園で開催された、総評主催の原子力潜水艦寄港阻止大阪府民集会に組合員約三〇名が参加し、抗議文を採択した後、デモ行進を行い、同月一一日には、アメリカ原子力潜水艦寄港阻止大阪実行委員会主催の集会及びデモ行進に約二〇名の組合員が参加し、同月二八日には、公務員共闘主催の第七次全国統一行動大阪集会に組合員らが参加し、原子力潜水艦日本寄港阻止を決議してデモ行進に参加した。

(2) 他税関の組合分裂状況

神戸税関においては、昭和三七年三月、全税関労組神戸支部執行部の活動方針に反対する組合員が神戸税関労働問題研究会を発足させ、労研ニュースを発行し、同執行部を公然と批判し、支部長選挙に同研究会の代表者を候補者として推薦して、選挙を闘ったが、これに破れたため、同研究会を中心とした批判勢力が母体となって、昭和三八年三月、神戸税関労働組合を結成した。この神戸での動きは、他税関における批判勢力にも影響を与え、横浜税関において、昭和三八年一一月に全税関労組横浜支部を脱退した者がその有志で、同三九年二月横浜税関労組刷新同志会を結成し、同年九月、同会を母体として横浜税関労働組合を結成した。右脱退者らは、その脱退の理由が、支部組合指導者層が自分達の考え方や意見を一方的に押しつけ、意見等を異にする者を敵視するという態度に出、また、問題を故意に歪曲して宣伝し、職員に危惧、不安の念を抱かせたり、誠実、真しな執務意欲を喪失させるような指導等をしていることにある旨を明かにした。

そして、東京税関においては、昭和三九年七月の全税関労組東京支部の定期大会において執行部批判があり、これら批判者が中心となって同年一一月刷新有志会を結成し、執行部の退陣と活動方針の変更を求めたが、これを拒否されたために、右組合を脱退して、同四〇年二月、東京税関労働組合を結成した。このような全税関労組の運動方針に反対する動きは、名古屋及び長崎の各支部においても見られ、名古屋及び長崎の各税関において、同じく昭和四〇年二月に新しい税関労組が結成された。

(3) 被控訴人組合の分裂の動き等

被控訴人組合内部における執行部批判の動きは、前記のとおり、昭和三〇年代後半に入って次第に顕在化しつつあり、被控訴人組合から、大量の脱退者が生じるかなり以前から、組合費の未納者が続出し、これらの者は、事実上組合を脱退したと同様の情況にあった。当時、大多数の署長、所長及び課長は全税関労組員であり、当初組合脱退者は右管理職員に集中していたが、当時全税関労組においては、「職制は敵」であると規定して、積極的に管理職員を排除する姿勢を示していた。なお、脱退組合員の中には、被控訴人組合の闘争的な活動やその執行部の姿勢等を公然と批判した声明文を配付する者までいた。

2  右認定事実を総合勘案すると、全税関労組及びこれに追随していた被控訴人組合が推進した安保条約改定反対闘争等の政治課題を活動の目的にした闘争形態は公務員として保持すべき政治的中立性に疑問を抱かせ、好ましくない行動であるから、早くも昭和三〇年代後半から次第に、被控訴人組合の中にその執行部を批判する者が出ていたこと、しかるに、その後、被控訴人組合は、相変わらず、昭和三六年及び同三七年度の各定期大会において、政治活動、政治闘争を行うことを活動方針にすることを確認し、これを推進していたため、当時、組合員であった支署長、課長等の管理職の中から被控訴人組合の執行部を批判する者が続出し、次第に他の組合員もこれに追随するようになったこと、これらの動きは、当時、既に他の税関においても同様の情勢になっていて、その影響も受けていることが窺われ、前記認定の、昭和三七年七月の定期大会における執行委員の大量辞任、同三九年の対立候補者擁立の動きや執行部信任投票の結果、分会単位の批判と組合費未納者の増加は、右の動きを示すものであるといえること、したがって、被控訴人組合の右活動方針やこれに基づく活動は、必ずしも組合員の総意を反映したものではなく、執行部は組合員の意識から乖離した独走傾向にあったものであって、当時噴出した組合員の右批判に耳を貸さず、活動方針の転換を図ろうとしなかったため、右批判者の中から組合脱退者が出て、その者らが自発的意思に基づき、大阪税関労組を結成するに至ったものというべきである。このことは、前記認定のとおり、右新組合結成の発起人が発表したその準備会趣意書に、大阪税関当局をも被控訴人組合執行部とともに批判する文言があることからも窺われる。右趣意書の中の「当局にも、使用者として守るべき節度を超え、職場を混乱させた責任がある。」との文言は、右発表者の一方的な意見にすぎず、その内容は抽象的概括的で、これから、組合分裂に関して大阪税関当局のなした具体的行動等を推察することは到底できないものであるから、右意見により右当局が組合分裂に関与していると推認することはできず、前記認定の横田考査管理官の講話は、事実に基づく分析結果であって、全税関労組を誹謗中傷したり、組合分裂ないし新組合結成を指導する内容のものではないから、これが右組合分裂に影響を与えたものとは認められない。また大阪税関当局が、被控訴人組合を、攻撃又は誹謗中傷したり、職員に対し、脱退、組合費未納を指示したことを認めるに足りる証拠はない。なお、前記認定のとおり、当初の組合脱退者は管理職員に集中し、昭和四〇年三月六日に新組合(大阪税関労組)結成後、同年中に右脱退者が増大し、これらの者が右新組合に加入した事実はあるが、右管理職員は、管理職員としての立場と組合員としての立場の二面性を有するところから、当時被控訴人組合も右管理職員を排除する姿勢を示していたので、組合に居辛い情況にあったもので、同人らが先ず組合を脱退したのは自然の成り行きであるといえ、組合費未納者は右分裂以前から増大しているのであって、これを大阪税関当局が指示したことを認めるに足りる証拠はなく、これらの者は、実質上相当以前から被控訴人組合を既に脱退していたものと見られるところ、新組合結成後に正式に脱退したため、一挙に脱退者が増加する情勢になったといえないでもない。したがって、右脱退ないしその増大が大阪税関当局の関与によるものとは認め難い。以上の次第であるから、被控訴人組合の前記分裂が大阪税関当局の関与によって生じたものであると認定することは困難である。

二  東京税関文書に示された税関当局(大蔵省関税局及び大阪税関)の差別意思について判断する。

1  東京税関文書に形式的証拠力(原本の存在及び成立)が認められること、これに対する控訴人の反論を採用しない事由は、原判決一八〇頁目三行目の冒頭から同一八一頁目八行目の終わりまでの記載(ただし、同一八〇頁目六行目の「伊藤英二」を「伊藤栄二」と、同行の「並びに弁論の全趣旨によると、」を「、その各文書の形状や内容(これらには、文書の取扱基準を示す「人事秘密」、「取扱注意」等の押印があり、所轄の部課長、税関長らの官職氏名〔これらは会議当時の者と概ね合致する。〕も記載され、その閲覧印が押捺されており、記載内容も不自然ではない。)並びに弁論の全趣旨(控訴人において成立について特段の反証をしていない等)によると、」と、それぞれ改める。)のとおりであるから、これを引用する。

2  そこで、右各文書に記載された内容等について順次検討を加える。

(一) 前記引用にかかる書証(甲二一五の一〔これを清書した同二一六の一〕)によれば、昭和四二年五月一日東京税関において部長会議が開催されたことが認められる。ところで、甲二一五の二(これを清書した同二一六の二)には、原判決一八二頁目二行目の「新入」から同一〇行目の「いる。」までの記載と同趣旨のことが記載されている。しかし、右甲二一五の二(これを清書した同二一六の二)には、表題に「部長会議々事録」との記載はなく(前記引用にかかる他の行政日誌の添付書類にはそのような記載がある。)、その記載内容が右他の行政日誌添付の文書の記載内容と相違するので、果たして甲二一五の二は同二一五の一と一体となった文書であるか疑問であり、したがって、右甲二一五の二に記載の内容が右部長会議で議論されたと断定することは困難である。

そして、仮に右書証により、同部長会議においてこれに記載の議論がなされたことが認められるとしても、右議論は新入職員の配置やその教育等について意見を交わしたものであることが窺われるところ、一般に新入職員は、公務員の倫理や服務規律等について十分な理解がなく、他からの影響を受けやすいものであるから、税関当局においてその配置について一定の配慮をすることは止むを得ないところである。ところで、前記及び後記認定の全税関労組及びその配下の組合のなした行為を見ると、当時、同組合員においては、政治闘争を活動方針とし、その目的はともかくとして、違法かつ過激な行動を繰り返し、公務員倫理に悖り、服務規律等違反の事実があったことが認められるから、税関当局において新入職員がこの影響を受けないよう配置につき一定の配慮をしたとしても、けっして不当違法とはいえず、指導官の人選に関してその思想等が議論されているのは、特定の思想を嫌悪して、これを排除する見地からなされたものではなく、指導官に公務員倫理を十分自覚して、これに則った行動を取り、服務規律等を遵守する資質が要請されるところから、これに相応しい人物を選任すべきであるとの議論がなされたものと理解することもできるので、右議論をもって、全税関労組員を同労組に所属していることやその正当な活動をしていることをもって他の職員と差別したものと認めることは困難である。

(二) 前記引用にかかる書証(甲二二七〔これを清書した同二二八〕)によれば、同年九月一一日の東京税関の幹部会議において、原判決一八三頁目一行目の「東京」から同一八四頁目一行目の終わりまでに記載の報告がなされたことが認められる。

しかし、右認定の報告のうち、大阪税関長発言の二五、二六年入関者を全税関労組員であると限定して認定するに足りる証拠はなく、その他の発言は他の税関長等の報告ないし発言であって、そこで議論されている議題や前後の事情等は明らかでなく、右発言内容が決議されたことを認めるに足りる証拠もないから、その発言だけから、大阪税関当局が全税関労組ないし被控訴人組合員を同労組に所属していることやその正当な活動をしていることをもって他の職員と差別して特別の処遇をしていたと認定することは困難である。そして、仮に右発言等から、税関当局が全税関労組員に対しその処遇上格別の対策を講じていることが認められるとしても、そもそも、前記認定のとおり全税関労組やその組合員のように公務員倫理に悖り服務規律等を遵守しない違法過激な活動を繰り返している職員ないしその所属の組合に対し、税関当局において公務員倫理や服務規律等遵守の見地から、これに違反する行動に反省を求め、是正さすよう対策を講ずることは止むを得ないところであるから、右対策を講ずること自体は何ら不当違法とはいえないものである。もっとも、その対策の内容次第によっては不当違法になる場合もあると考えられるが、前記認定の発言等から、税関当局の講じていた対策の内容を認定することはできない(なお、右発言の中には不穏当であるとの非難を免れないものがあるが、その発言は、一部の者がなしたもので、これだけからは、その意図、真意を正確に把握することはできず、これを明らかにする証拠もないから、右発言をもって、税関当局が不当違法な内容の全税関労組員対策を講じていたと断定することはできない。)ので、右対策が不当違法であると断定することは到底できない。

(三) 前記引用にかかる書証(甲二二三の一、二〔これを清書した同二二四の一、二〕)によれば、同年九月二七日の東京税関の幹部会議において、原判決一八六頁目一〇行目の「監察官」から同一八八頁目五行目の「誘い出す。」までに記載のとおりの発言がなされたことが認められる。

しかし、仮に右発言によって全税関労組員をサークル活動の場面で隔離する等の対策を講じていることが認められるとしても、右発言は東京税関内部における施策が議論されたものであることは明らかであり、乙三二一〇の一ないし四、三二一一及び弁論の全趣旨によれば、当時及びその後においても、大阪税関においては、その所属の被控訴人組合員が各種のサークルに数多く所属して活躍しており、右サークル活動から排除されたり、隔離されたりした事跡はないことが認められるので、右発言内容をもって大阪税関当局の講じていた全税関労組対策であると認めることは到底できない。

(四) 前記引用にかかる書証(甲二四一の一、二〔これを清書した同二四二の一、二〕)によれば、昭和四三年四月二日の東京税関の幹部会議において原判決一八八頁目一〇行目の「税関長」から同一八九頁目一行目の「通らぬだろう」までに記載のとおりの発言がなされたことが認められる。

しかし、この発言内容の前段部分は税関長の個人的な感情の表明にすぎず、結論としては全税関労組員を永年表彰から除外するのは筋が通らないと述べているのであるから、右発言から、税関当局が永年表彰において同労組員を差別する意思があったことを認めることはできない。

(五) 前記引用にかかる書証(甲二四三〔これを一部清書した同二四四〕)によれば、同年七月一七日の東京税関の幹部会議において原判決一八九頁目七行目の「表彰基準」から同一九〇頁目一〇行目の「見送る。」までに記載(ただし、同一九〇頁目二行目の「検討中」の前に「所属組合によって扱いを異にするのは奇異だ。」を付加する。)のとおりの発言がなされたことが認められる。

しかし、右発言内容によれば、職員の永年表彰において、特定の組合に所属していることを基準とすることに反対する意見も述べられていて、そのような基準により実施するとの結論には達していないものであるから、右発言内容をもって、永年表彰において全税関労組員が差別処遇をされていたと認めることはできない。

3  前記引用にかかる他の書証(東京税関文書)の中で、全税関労組員が差別処遇をされていたことを認めるに足りるものはない。

4 以上の次第であるから、大蔵省関税局の差別意思やその関与の有無について検討を加えるまでもなく、前記引用にかかる書証(東京税関文書)によって大阪税関当局の差別意思の存在を認めることはできない。

三  大阪税関当局の具体的行為に示された差別意思について判断する。

1  配転問題

(一) 右配転については、原判決一九七頁目五行目の「甲」から同二〇〇頁目五行目の終わりまでの記載(ただし、同一九七頁目六行目の「一〇八の三、」を削除し、同七行目の「証人伊藤守の証言、原告平野卓也、同」を「証人伊藤守(第二回)、訴え取下前の原審原告平野拓也、被控訴人」と改め、同一九八頁目八行目の「)。」の次に「そして、大阪税関当局は、人事異動については、「イ、同一所属課勤務一年以上の者を異動の対象者とする。ロ、同一所属課に勤務する期間は三年未満とする。ハ、住居移転を伴う遠隔地の支署、出張所勤務となった者については、勤務期間を二年ないし三年を標準として本関近接地へ戻す。ニ、支署、出張所未経験者はできるだけ若い間に一度は勤務させる。」の方針で運営していた。」を付加する。)のとおりであるから、これを引用する。

(二)  右認定事実により考察するに、右引用にかかる②の配転から大阪税関当局の差別意思を認定できないことは、原判決二〇〇頁目七行目の冒頭から同末行の終わりまでの記載のとおりであるから、これを引用する。そして、右引用にかかる③の配転について考察するに、確かに遠隔地配転において被控訴人組合員のしめる比率が多いものである(昭和四〇年七月期の異動では一一名中被控訴人組合員が八名、同四一年七月期の異動では一三名中同九名)が、前記証拠によれば、右労組員はほとんど独身者で、本関地勤務が長く遠隔地勤務経験がない者であって、右配転は、前記認定の大阪税関当局がその所属職員に採っていた配転基準にほぼ合致しており、右引用にかかる証拠や甲二五の三八、二七の四によれば、右配転者の中にはその出身地に配転された者もあり、また本人の意向により、大阪税関当局がこれを尊重して配転内容を撤回した事実もあり、なお、昭和四〇年七月期の異動では、被控訴人組合員が七名、また同四一年七月期の異動では同組合員が六名、それぞれ遠隔地から大阪地区へ配転されていることが認められるから、前記各配転において被控訴人組合員の比率が多いことや当時組合分裂後日が浅いことをもって右当局が被控訴人組合員を差別したと認定することはできない。

2  千舟なにわ寮への入寮問題

(一) 右の件に関する証拠及び事実認定は、次のとおり付加、訂正するほかは、原判決二〇三頁目八行目の「甲」から同二一一頁目九行目の終わりまでの記載のとおりであるから、これを引用する。

(1) 原判決二〇三頁目三行目及び同四行目の各「千船」を各「千舟」と改め、同頁一〇行目の「二九一二、」の次に「三一一四、三二一三、」を付加する。

(2) 同二〇四頁目一〇行目から同末行にかけての「その制定に反対していた。」を「寮の自治を求めて、強くその制定に反対し、職場集会等によりその運動を繰り返していた。」と改める。

(3) 同二〇五頁目九行目の「なった。」の次に「右改正は、昭和四六年に新なにわ寮が新設されたのに伴い、千舟なにわ寮管理規則が廃止され、新たに大阪税関独身寮管理規則が制定されたためなされたものであるが、右改正規則は、寮生との懇談会で出された要望を斟酌して制定されたものである。」を付加する。

(4) 同二〇七頁目四行目の「述べなかった。」を「述べなかったが、右交渉の当初の入寮問題の総括的回答の中で寮管理規則六条に決められているとおりであるとの説明をしていた。」と、同六行目の「千船」を「千舟」と、それぞれ改める。

(5) 同二一〇頁目九行目の「行った」の次に「重点要求として寮管理規則反対を掲げた」を付加する。

(6) 同二一一頁目六行目の「受けていた。」の次に「右各集会は、大阪税関当局から事前に庁舎使用許可を受けるよう注意喚起を受けていたにもかかわらず、これを無視して強行され、その後税関長からその参加者に対し厳重な口頭注意があったが、その効果もなく繰り返され、時には右当局が庁内放送で解散命令を発したが、これも無視して継続され、激しくシュプレヒコールがなされ、重点要求として寮管理規則反対を掲げたものもあった。」を付加する。

(二)  右認定事実を総合勘案して、まず千舟なにわ寮入寮拒否の件について検討するに、被控訴人組合員の中にも入寮を許可された者があり、一方右組合員以外の者でも入寮を許可されていない者もいること、当時被控訴人組合は寮の自治を求めて寮規則制定に反対し、その運動を繰り返していたものであるところ、入寮を拒否された被控訴人組合員五名の者は、庁舎管理規則違反(その態様は前記のとおりけっして軽微なものではなく、寮管理規則反対を掲げたものもあった。)により矯正措置を受けているので、これらの事情等から同人らに寮管理規則の遵守を期待できないと認められる余地があること、したがって、控訴人が主張する右の者らに対する入寮拒否理由(寮管理規則六条の「税関職員としての品位を保持し、共同生活に適するもの」に該当しないとの判断)は首肯できるものであること、なお、大阪税関当局は、前記人事院の不服申立手続において、右拒否理由につき右主張とは異なる説明をしているが、前記認定のとおり、大阪税関当局は被控訴人組合との交渉等において右主張に符合する拒否理由を早くから繰り返し主張しているので、右人事院の不服申立手続における説明は、控訴人主張のとおり、共同生活不適と説明した場合には、人権侵害発言として追求され事態が混迷することを配慮して右の表現を差し控えたものであると推察されること、前記認定のとおりその後寮管理規則六条は削除されてはいるが、その改正の経過は前記認定のとおりであるから、当時、右当局が同規則六条に重きをおいていなかったとはいえないこと、前記認定のとおり、東京税関文書によれば、東京税関において、新入職員の配置や指導官の選任につき議論がなされた事実はあるが、右議論は職場の配置につきなされたものであって、これから入寮拒否等の具体的な施策がなされたことを認定することはできないばかりか、何分、右議論は東京税関でなされたもので、大阪税関での件ではないこと、右入寮については被控訴人組合員全員が拒否されたわけではなく、入寮を許可された者の中には同組合員もいるものである(なお、前記入寮を拒否された者は当時被控訴人組合の役員ではあったが、前記引用にかかる証拠及び弁論の全趣旨によれば、当時被控訴人組合においてはほぼ半数の者が役員の地位を有しており、右の者ら全員が有力活動家であると認定することは困難である。)から、前記入寮の拒否が新入職員を被控訴人組合員から隔離するためになされたものであるとは認め難いこと、そうすると、右入寮拒否をもって被控訴人組合員を差別したものであると認めることはできない。

次に入寮拒否にかかる配転の件について検討するに、これが不当違法であると認めることはできなく、その理由は、原判決二一五頁目七行目の冒頭から同末行の終わりまでの記載(ただし、同八行目の「認められるが、」の次に「右各配転が、前記認定の従来大阪税関当局が運営していた職員の配置基準に合致しない不当なものであることを認めるに足りる証拠はなく、また、」を付加する。)のとおりであるから、これを引用する。

3  いわゆる長谷川問題

右の件に関する当裁判所の認定、判断は、次のとおり訂正するほかは、原判決二一六頁目二行目の冒頭から同二一七頁目六行目の終わりまでの記載のとおりであるから、これを引用する。

(一) 原判決二一六頁目二行目の「(1)」を「(一)」と、同三行目の「原告長谷川」から同五行目の「認められる。」までを「被控訴人長谷川修は、昭和四〇年七月大阪から伏木支署へ遠隔地配転され、同支署で亡長谷川(旧姓黒川)昌子(同三八年一一月一日支署で現地採用され、同四〇年一二月被控訴人組合に復帰加入)と婚約し、同四三年五月婚姻予定であったが、被控訴人長谷川修は昭和四二年一〇月単独で大阪へ配転され、亡長谷川昌子は結婚後も右支署に留め置かれ、同四四年一〇月大阪富島出張所に配転されたこと、一方、被控訴人組合員であった婚約中の土肥久司は大阪から富山出張所へ遠隔地配転になっていたが、被控訴人組合を脱退したところ、一年半を経た同四二年一月大阪へ配転されたことが認められる。」と、同六行目の「(2)」を「(二)」と、それぞれ改める。

(二) 同二一七頁目一行目の「昭和」から同四行目の「難くなく、」までを「乙二九四二によれば、土肥の右時期での配転は必ずしも本人の希望に沿うものでもないことが認められ、」と改める。

4  勤勉手当の減額支給

右の件に関する当裁判所の認定、判断は、次のとおり訂正、付加するほかは、原判決二一七頁目八行目の冒頭から同二二一頁目九行目の終わりまでの記載のとおりであるから、これを引用する。

(一) 同二一七頁目八行目の「(1)」を「(一)」と改め、同九行目の「二八七一、」の次に「三二六三、証人伊藤守(第二回)」を、同末行の「昭和四三年」の前に「勤勉手当については、職員の成績に応じて支給され(当時の給与法)、その基準は、職員の期間率に成績率を乗じて得た割合によるが、成績率は、各庁の長が当該職員の勤務評定記録書又は勤務成績を判定するに足りると認められる事実を考慮して行う旨定められており(人事院規則等)、大阪税関においてもそのような運営がなされていたところ、」を付加する。

(二) 同二一八頁目四行目の「受けた。」の次に「当時、右勤勉手当査定の前に、右のうち、被控訴人組合員であった者はいずれも非違行為(当局の警告を無視して実行された庁舎管理規則違反等)を行い、上司の命令に服しない事実があった。」を付加する。

(三) 同二一九頁目七行目の「(2)」を「(二)」と改め、同九行目の「主張するが、」の次に「被控訴人組合員はいずれも非違行為等を考慮して成績率を低く評定され、低額支給されたものであることが推認できるばかりか、」を付加する。

(四) 同二二一頁目三行目の「右事実」から同七行目の「る)。」までを「右認定事実によれば、右勤勉手当の低額支給は非違行為等を考慮して成績率が低く評定されてなされたものであると認められる。そうすると、被控訴人ら主張のとおり右勤勉手当の低額支給が大阪税関当局の差別意思によりなされたと認めることはできない。」と改める。

5  宿舎入居問題

右の件に関する当裁判所の認定、判断は、原判決二二一頁目末行の冒頭から同二二三頁目三行目の終わりまでの記載(ただし、同二二二頁目一行目及び同七行目の各「千船」を各「千舟」と改め、同七行目の「するが、」の次に「当時の大阪税関の宿舎事情は十分なものではなく、希望どおり入居できないことは被控訴人組合員に限ったものではなかった(前記証拠及び弁論の全趣旨)ところ、」を付加する。)のとおりであるから、これを引用する。

6  年次休暇、特別休暇の不承認

右の件に関する当裁判所の認定、判断は、原判決二二三頁目五行目の冒頭から同二三三頁目四行目の終わりまでの記載(ただし、同二二三頁目五行目の「(1)」を「(一)」と、同二二六頁目六行目の「(2)」を「(二)」と、同二二九頁目九行目の「しかし、」から同二三一頁目三行目の「)。」までを「また、右休暇についての取扱が被控訴人組合員に対してのみ強化されたことを認めるに足りる証拠はない。」と、同五行目の「(3)」を「(三)」と、同二三三頁目一行目の「証拠はない、」から同三行目の「すると、」までを「証拠はなく、右認定の事実経過等を考慮すると、」と、それぞれ改める。)のとおりであるから、これを引用する。

7  サ―クル活動からの排除

(一) ラグビー部の件

右の件に関する当裁判所の認定、判断は、原判決二三三頁目七行目の冒頭から同二三四頁目一〇行目の終わりまでの記載(ただし、同二三四頁目五行目の「原告(他元原告一名)」を「被控訴人組合員(他元同組合員一名)」と、同六行目の「認められる」から同九行目の「なされているとの」までを「認められ、ラグビー部においては、川村脱退後も、被控訴人組合員も留まって活躍しており、昭和四四年三月からは主将も同組合員であり、大阪税関当局が同部を潰す等の措置に出ていたことは認あられないから、」と、それぞれ改める。)のとおりであるから、これを引用する。

(二) 剣道部の件

右の件に関する当裁判所の認定、判断は、原判決二三五頁目一行目の冒頭から同二三六頁目一行目の終わりまでの記載(ただし、同二三五頁目一行目の「小井田治郎」を「小井田治朗」と改め、同六行目の「いなかった。」の次に「当時常岡は部費も未納で、練習にあまり熱心ではなかった。」を付加し、同一〇行目の「仮に、」から同二三六頁目一行目の終わりまでを「右認定の経過等によると、常岡は練習に不熱心なためチームワークを乱す者として他の部員から敬遠されていたことが窺われないでもないから、被控訴人小井田の右供述は信用できない。他に剣道部に関して被控訴人ら主張の大阪税関当局の差別意思を認めるに足りる証拠はない。」と改める。)のとおりであるから、これを引用する。

(三) 卓球部の件

右の件に関する当裁判所の認定、判断は、原判決(更正決定を含む。)二三六頁目三行目の冒頭から同八行目の終わりまでの記載(ただし、同三行目の「小井田治郎」を「小井田治朗」と改める。)のとおりであるから、これを引用する。

(四) サッカークラプの件

(1) 甲九、三九一、乙二九四一、被控訴人小井田治朗本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によると、昭和四五年三月二一日、被控訴人西、同長谷川と当時大阪税関労組に加入していた佐藤、清川、谷口(千舟なにわ寮の寮生)が私的なサッカークラブである「オフサイズ」(港湾関係の各職場の混成チーム)を結成し、遅れて、同寮生の元村、林田も加入したこと、ところが、同寮の副管理人の新井敏男は、同寮に別にサッカー部を作り、その後、元村及び林田はオフサイズを辞め、その内一人は寮のサッカー部に加入したことが認められる。

(2) ところで、甲三九一(被控訴人西作成の書面)には、新井敏男は、谷口に対し寮にサッカー部を作らないかと呼び掛け、これを断られた経過があり、新井が寮にサッカー部を作ったのは大阪税関当局の指示によるものである旨の記載があり、被控訴人小井田も同趣旨の供述をしている。

(3) しかし、甲三九一の右記載内容や被控訴人小井田の右供述部分は、それ自体から伝聞や憶測によるものであることが認められること、大阪税関当局が新井にサッカー部の結成を指示したり、これに経費等の援助を与えたことを認めるに足りる証拠はなく、乙二九四一(新井の陳述書)には、「谷口とサッカー部の件に関して一度も話し合ったことはない。当時、寮内に、サッカー経験のあった松下、佐竹、元村、林田らが発起人となって、同好会を作ろうとの気運があって、自分もグランド捜し等側面から援助し、道具類は、寮生らが自費で積み立て、月賦で購入した。」旨の記載があるところ、乙三二一五によれば、谷口はオフサイズクラブの主力メンバーではないことが窺われ、新井が同クラブの主力メンバー(佐藤、清川等)に対し部結成を話し掛けた事実を認めるに足りる証拠はなく(もし、同クラブを潰す意図なら、真先に同人らと交渉した筈である。)、オフサイズクラブは港湾関係の各職場の混成チームであったので、寮生だけによる独自のサッカー部を作ろうとの新井の発案にはそれなりの理由があることを考慮すると、乙二九四一の右記載内容は一概に排斥し難いところである。

(4) そうすると、甲三九一及び被控訴人小井田の前記(2)の記載及び供述は、いずれも信用できず、前記(1)に認定の事実から大阪税関当局の差別意思の存在を認定することはできない。

(五) 柔道部の件

右の件に関する当裁判所の認定、判断は、原判決二四〇頁目五行目の冒頭から同二四一頁目八行目の終わりまでの記載(ただし、同二四〇頁目六行目の「治郎」を「治朗」と改める。)のとおりであるから、これを引用する。

8  結婚妨害問題

(一) 右の件に関する証拠及び事実認定は、原判決二四一頁目一〇行目の「甲」から同二四三頁目五行目の終わりまでの記載(ただし、同二四一頁目一〇行目の「小井田治郎」を「小井田治朗」と、同二四二頁目末行の「もっとも、町田は、「税関の」を「町田は、被控訴人組合等の右の件に関する追求に対し、「右説得は親切心から出たものであって、税関の」と、同二四三頁目二行目の「弁解」から同五行目の「できない。」までを「弁解した。」と、それぞれ改める。)のとおりであるから、これを引用する。

(二)  右認定事実によれば、町田の言動は、上司ないしカウンセラーとしての職務を逸脱し、勉及び被控訴人畑範子の人権を侵害する行為である。しかし、大阪税関当局が右行為を指示したり、これに関与したことを認めるに足りる証拠はなく、前、後記認定の当時の情勢等(被控訴人組合員が非違行為を繰り返して処分されていた等)や右認定の町田の弁解によると、上司ないしカウンセラーの立場にある町田が被控訴人組合に対し個人的に消極的評価をして老婆心から自らの発意により、前記職務を逸脱した行動に走ったと認めることもでき、なお、大阪税関当局において町田に対し右の件に関し直接処断していないが、これは、本件は職員以外の者も関係している結婚問題であって、町田自身も前記のとおり弁解しているので、その真相が確定し難いためであると窺われないでもない。そうすると、前記(一)において認定の事実から、大阪税関当局の差別意思の存在を認定することはできない。

9  現認体制の問題

右の件に関する当裁判所の認定、判断は、原判決二四四頁目九行目の冒頭から同二四五頁目七行目の終わりまでの記載(ただし、同二四五頁目三行目の「しかし、」の次に「右証拠によれば、被控訴人組合員は大阪税関当局の度重なる警告にもかかわらず、これを無視して非違行為を繰り返していたことが認められるので、」を付加する。)のとおりであるから、これを引用する。

10  新大仏寺での研修問題

(一) 右の件に関する証拠及び事実認定は、原判決二四五頁目末行の「甲」から同二四六頁目一〇行目の終わりまでの記載(ただし、同二四六頁目六行目の「原告組合の分析及び当局の組合活動対策」を「被控訴人組合を含めた当時の労働情勢」と改める。)のとおりであるから、これを引用する。

(二)(1) ところで、右引用にかかる甲二三、三二の五、六には、右研修会では、被控訴人組合は大半が共産党員であると指摘して、同組合を中傷誹謗し、これを破壊し、潰す対策が討議された旨の新聞及び全税関労組大阪支部ニュース記事の記載があり、被控訴人天川もその本人尋問において同趣旨の供述をしている。

(2) しかし、右新聞記事についてはそのニュースソースを明らかにした証拠はなく(右記載内容からは、被控訴人組合であると窺われないでもない。)、右各記事が、主催者の大阪税関当局や出席者に個別に当たって取材して作成されたことを認めるに足りる証拠はないから、右記事の内容が正確であるとの裏付けはなく、また被控訴人天川の右供述もそれ自体から他からの伝聞又は自己の想像によるものであることが認められること、甲三二の七、一〇、一二によれば、その後、被控訴人組合との懇談において、大阪税関当局は右研修会において同組合を誹謗した事実がないことははっきりしていると明言し、更に、本件が国会で取り上げられた際、政府委員から、本研修会では特定の政党や組合を名指してこれはいかぬなどの討議はしてない旨の答弁があったことが認められ、同研修会に出席した証人伊藤守(第一回)や同野口英世の各証言からも右の事情が窺われないでもないことに照らすと、右(1)の記事の記載内容や供述はいずれも信用できない。

(3) そして、仮に、右研修会において、被控訴人組合対策の討議等がなされたことが認められるとしても、前記二2(二)において説示のとおり組合対策の討議等をなすこと自体は不当違法ではなく、その内容次第によって不当違法になる場合もあるものと考えられるところ、これに関する前記(1)記載の証拠は信用できず、他に右対策の内容を認定するに足りる証拠はない(なお、右研修会の場所等が異例であったことだけから右内容の不当違法を認定することは困難である。)。

(三)  そうすると、右(一)において認定の事実から大阪税関当局の差別意思を認定することはできない。

四  関税局の人事政策に示された差別意思について判断する。

1  税関における昇格、昇給の法定要件と実際の取扱いについて

(一) 昇任、昇格及び昇給についての法定要件は、原判決の「事実及び理由」中の「第二 事案の概要」欄の(当事者間に争いのない事実等)二 本件係争期間中の税関職員の昇任、昇格及び昇給制度の概要において判示したとおりである。

(二) 被控訴人らは、右法定要件にもかかわらず、実際の運用は年功序列的になされていた旨主張するので、この点について検討する。

その形式及び記載内容から原本の存在及び成立(関税局管理課作成の文書)が認められる甲二七五、二七六の各二によれば、税関職員は年齢が上昇するにつれて等級が上昇していることが認められ、また証人伊藤守の証言(第二回)によれば、いわゆる復職時調整の名の下に、病休等で長期間休職していた職員が復職した場合に復職時に休職開始時よりも高い等級に昇格する取扱いがなされていることが認められる。しかし、右書証によれば、右年齢の上昇と等級の上昇については、各等級に属する年齢層の人数は必ずしも一定ではなく、前記検討した被控訴人らが対象者とした原判決添付の別表1記載の非原告組合員の昇給等(これは前記判示のとおり必ずしも正確ではない。)についても勤務年数に応じて一律に上昇しているとはいえないこと、右証人伊藤の証言によれば、復職時調整の理由は、様々であり、その趣旨が同一勤務年数の者を同等に処遇するためではなく、また実際の処遇も一律に同勤務年数の者の等級等に合わせているとは限らなく、休職前の勤務成績、必要経験年数、在級年数、官職の枠、選考対象者との絡み等を総合勘案して処遇しているものであることが認められ、確かに右認定の事実や弁論の全趣旨によれば、職員の昇給等については、採用資格(学歴等)や勤務年数が重視されていることが推認できるが、一般に、職員の昇給等については、税関長の裁量に委ねられているところ、法令の建前や税関業務の実態からして成績主義、能力主義に基づく人事政策が採られるのが相当であるから、その運用もこれを全く無視して実施されているとは認め難いこと等を考慮すると、職員の昇給等が一律に年功序列的になされていたと認めることは困難である。

2  関税局文書に示された税関当局の差別意思につき検討を加える。

(一) 関税局文書の形式的証拠力(原本の存在及び成立)につき判断する。

この点に関する当裁判所の判断は、原判決二五二頁目三行目の冒頭から同二五五頁目一行目の終わりまでの記載(ただし、同二五三頁目三行目の「二葉」を「三葉」と、同行の「八、九」を「八ないし一〇」と、それぞれ改める。)のとおりであるから、これを引用する。

(二) 右引用にかかる証拠(ただし、右引用にかかるロ文書不真正部分を除く)によると、関税局において、昭和五八年九月税関長会議、同年一〇月総務部長会議、同五九年二月税関長会議、同年三月総務部長会議、同六一年三月一九日総務部長会議、同年四月一〇日、一一日人事課長会議がそれぞれ開かれ、これらの各会議においてそれに関する各文書記載の内容等が討議されたことが認められる。

(三) 右会議で討議された各文書記載の内容中問題となり得る部分及びこれに対する判断は、次のとおり訂正、削除するほかは、原判決二五五頁目八行目の冒頭から同二六三頁目末行の終わりまでの記載のとおりであるから、これを引用する。

(1) 同二五九頁目一行目の「同六〇年度まで」を「同六〇年度においては」と改める。

(2) 同二六一頁目一行目の「これまで」から同七行目の「る。」までを「同六〇年度においては全税関労組員に対し前記基準(五五歳かつ在級六年)に沿って運用していたが、同六一年度からは年齢構成等から内外ともに説明が困難になるので、任用数を多くするような是正措置に関する意見が出されたことが認められる。」と改める。

(3) 同二六二頁目末行の「一般職員」から同二六三頁目二行目の「る。」までを「一般職員との均衡上どのように考慮すべきかが討議されたことが認められる。」と改める。

(4) 同二六三頁目七行目の「しかし、」から同末行の終わりまでを削除する。

(四)  右認定事実によれば、全税関労組員について昭和六〇年度において上席官への昇任に基準が設けられており、またそれまで同組合員の上席官への昇任数が右組合員以外の者より少ないことが認められる。しかし、他の職員についてどのような基準が設けられていたかは明らかでなく、同組合員でも上席官に昇任した者は少なからずいるところ、右基準が設けられなければならなかった事由や右昇任数が他と比較して少ない由来を確認し得る証拠はないから、これらの事実のみからは直ちに、関税局において全税関労組員を同人が同組合に所属することやその正当な活動をしていることだけをもって他の職員と差別していたと断定することは困難であり、前記昭和六一年度の総務部長会議では格差の是正が討議されたものであるからそれ自体は非難される余地はなく、また右基準が設けられた時期を明らかにする証拠はなく、何分、本件係争期間は右討議がなされた日からかなり以前の一〇年も前(その始期は二〇年も前)の時期であるから、右討議内容等から本件係争期間中も同様の取扱い又は差別意思に基づく措置の実施があったと推認することは到底できない。また七級昇格については、一般職員との均衡上差別すべきでないとの討議がなされたものであると理解でき、右討議内容から全税関労組員に対し格別の基準が設けられ、これに基づき運用されていたことを推認することはできず、仮に当時右基準が設けられて、これに基づき運用されていたことが認められるとしても、これを設けなければならなかった事由やその時期を明らかにする証拠はなく、これから直ちに一〇年も前(その始期は二〇年も前)の本件係争期間中も同様又は差別意思に基づく措置の実施があったと推認することは到底できない。

前記関税局文書中に他に同局の差別意思の存在を認定するに足りるものはない。

そうすると、右文書により本件係争期間中の同局の差別意思の存在を認定することはできない。

3  昇給等の具体例

(一) 右の点に関する証拠及び事実認定は、次のとおり訂正、付加するほかは、原判決二六五頁目八行目の冒頭から同二七二頁目五行目の終わりまでの記載のとおりであるから、これを引用する。

(1) 原判決二六六頁目九行目の「平野卓也」を「平野拓也」と、同行の「同人」を「訴え取下前の原審原告平野」と、それぞれ改める。

(2) 同二六七頁目四行目の「小井田治郎」を「小井田治朗」と改め、同七行目の「入関年次」の次に(ただし、全税関労組員がいない昭和二四年及び同三〇年次を除く)」を、同九行目の「いない者は」の次に「同二六年次の平川一人を除いて」を、それぞれ付加する。

(3) 同二六九頁二行目の「よると、」の次に「同発令においては、」を付加し、同行から同三行目にかけての「なされるのが通常であることが」を「なされていることが」と、同五行目の「運用実態」を「実状」と、それぞれ改める。

(二)  右認定事実によれば、本件係争期間中、一般に、全税関労組員ないし被控訴人組合員が他の職員と比較して昇給等において低く処遇されていることが認められる。しかし、前記認定のとおり、税関職員の昇給等の処遇は、法令上やその運営の実際上も、その勤務成績(この内情は、後記判示のとおり、勤務実績、執務に関連してみられた性格、能力、適性を総合評価してなされる。)によって処遇され、これを無視して年功序列的になされているものではないので、同組合員各人につき個別に当たって、他の職員と比較してその勤務成績が同等であったことが認められない限り、単に右処遇が一般的に低くなされている実状であることだけから、直ちに右処遇が税関当局の差別意思に基づくものであると認定することは困難である。

五 以上検討したところによれば、右昇給等の具体例のみで本件係争期間中における関税局ないし大阪税関当局の差別意思の存在を認めることはできない。

(争点三〔格差は差別意思により生じたものか〕について)

一  争点一において判示したところによれば、被控訴人組合を除くその余の被控訴人ら(ただし、承継者についてはその被承継者)各人については、本件係争期間中、原判決添付の別表1記載のその各対象の同期入関者のうちの最も昇給等の低い者よりも昇給等が低いものであることを認め得ないでもない。そうすると、この場合、右被控訴人ら各人がその各対象の右最も低い同期入関者と勤務成績が同等であることが認められるときは、右被控訴人らに対する右処遇は差別意思に基づくものであると一応推認できるというべきである。なお、前記判示のとおり、右被控訴人らとその各対象者とは本件係争期間の当初において既に格差が生じているものもあり、この者については、これが右期間中の昇給等に影響を与えているので、右格差が始まった当初に遡って右勤務成績の同等を検討する必要があるが、以下においては取り敢えず本件係争期間中に限ってこれを検討することにする。

二  そこで、まず右検討をなす前提として、非違行為の主張、立証の訴訟手続上の問題につき判断する。

この点に関する当裁判所の判断は、原判決二七三頁目三行目の冒頭から同二七五頁目一行目の終わりまでの記載(ただし、同二七三頁目三行目の「経過した」の次に「原審の」を付加し、同二七四頁目七行目の「右黒塗り、」を「右黒塗りは、」と改める。)のとおりであるから、これを引用する。

三  次に、被控訴人組合を除くその余の被控訴人ら(ただし、承継者についてはその被承継者)各人の勤務成績について判断する。

1  勤務成績の概念

この点に関する当裁判所の判断は、原判決二七五頁目四行目の冒頭から同二七七頁目一〇行目の終わりまでの記載(ただし、同二七六頁目五行目の「分けられる。」を「分けられるが、これらを総合して評定されるものである。」と改め、同二七七頁目五行目の「八条」の次に「七項」を付加する。)のとおりであるから、これを引用する。

2  右被控訴人らの勤務実績

(一) ところで、国家公務員である税関職員は、全体の奉仕者として法令上の服務規律の下に公共的な職務に従事するものであることは勿論、国民に対し法令に基づき直接公権力を行使する権限を付与されているものであるから、その職務には厳しい規律の確保が要請され、職務の内外を問わず、法令、規則を誠実に遵守する態度を保持することが特に要請されているものである。そして、右職務の内容は、機械的数量的に測定し得るものではなく、一定の組織の中で上司の命令に服し、他の同僚等と協力して遂行されるものである。そうすると、勤務実績の認定においては、これらの点をも考慮に入れざるを得ないものである。

(二) 甲三六ないし四〇、四〇七ないし四〇九、四三八、四四八、四七〇ないし五三三、五三九、五七二、五七七(右被控訴人らの一部の者の作成陳述書)及び被控訴人天川昇、同西愛彦、同小井田治朗、同常田邦男(原審)各本人尋問中には、被控訴人組合員ら各自が同期入関者と勤務実績において差がないとする記載及び供述がある。

しかし、これらの記載及び供述内容は、もっぱら右各人の自己評価にすぎず、他の職員と比較して裏付ける的確な証拠もないから、右記載及び供述はいずれも信用できない。

(三)(1) 右勤務実績に関して以下の事実が認められる。

イ 前記(争点二)の三、4において判示のとおり、本件係争期間中右被控訴人らのうちには勤務成績が劣ると評定されて勤勉手当が低く支給された事実がある。

ロ 本判決添付の別紙の控訴人の主張の別表1ないし3記載の事実があり(その証拠及び態様等は同箇所に記載のとおりである。)、これによれば、右被控訴人らの大部分において勤務時間中正当な理由なく離席等して職務を遂行しなかったことがある。

ハ 本件係争期間中右被控訴人らがなした非違行為の回数、態様等及びその他にも被控訴人組合員が違法行為に及んでいることは、後記3(一)において認定のとおりであって、右被控訴人らは職務専念義務に違反しており、また右行為の態様によれば、右被控訴人らは普段の職務遂行においても上司の命令に服さず、同僚との協調性に欠けていたことが推認でき、証人伊藤守の証言(第一回)によっても、被控訴人組合員については、職務の遂行において、上司に対し反抗的態度を取ることが多く、誠実さや責任感が劣り、同僚との協調性に欠けていることが認められる。

ニ 本件係争期間中の右被控訴人らの休暇の実情は、後記3(二)において認定のとおりであり、これによれば、概して右休暇数は他の職員に比較して多いものである。

ホ 甲二七五の一、乙二九五〇、証人伊藤守の証言(第二回)によれば、本件係争期間中、被控訴人虫明において親展文書の無断開披の事実があり、被控訴人満生において職務中度々正当な理由もなく長時間離席する事実があり、良好な勤務成績の証明が得られないため被控訴人西及び同松田について普通昇給が延伸になった事実があること、乙六一三ないし六一六、証人上林半三郎の証言によると、被控訴人北口は昭和四九年三月七日休暇の申請をせず承認を受けずに職場を離れて本関の方へ行っていた事実があり、同北口、同畑千穂子、同古田、同大田は、同月二六日午前中勤務庁の安治川出張所の前まで来たが、午前中半日の交通ストを理由に、スト解除後出勤して特別休暇の申請をした事実があることが認められる。

ヘ 控訴人は、以上の他の、右被控訴人らの職務を怠った証拠及び右被控訴人らと比較すべき各対象者の勤務実績を明らかにした証拠を提出していない。ところで、前記説示の税関の職務内容を考慮すると、右勤務実績は機械的数量的に測定できるものではなく、各人につき毎日執務に関するその様々な言動等を逐一記録に残すことは人的、物的に不可能であるので、控訴人においてこれらに関する記録文書を保有し、人証を確保しているとは考えられないこと(なお、前記認定の関税局及び東京税関文書〔甲二七五の一、同二〇五〕によれば、同局等において、本件のような訴訟に関する対策が議論されたことが認められるが、これによって具体的施策を決定したことを認めることはできないから、右当局において右文書の保有及び右人証の確保をしていたと推認することは困難である。)、もっとも、証人伊藤守の証言(第一回)によれば、大阪税関では、上司において一定時期にその部下職員に対する勤務評定書を作成しているが、その内容は抽象的概括的で、各人の執務に関する言動等を詳細に記録したものではなく総合評価を重視して作成されたものであることが認められるので、これが証拠として提出されても、右被控訴人ら又は他の職員に対する勤務実績を正確に認定できるか疑問であり、また右文書の提出により、その職員のプライバシーが侵害され、人事政策上の秘密が公表されて好ましくない事態になることは明らかであり、控訴人が右文書を証拠として提出しないのはそのような観点を配慮したためであることが窺われる。そうすると、控訴人において右被控訴人らの前記以外の勤務実績を明らかにした証拠又は他の職員の勤務実績を明らかにした証拠を提出していないことをもって、前記被控訴人らと前記各対象同期入関者との勤務実績が同等であると推認することは相当でないといわねばならない。

(2) ところで、本件係争期間中前記被控訴人ら各人と前記各対象同期入関者との勤務実績が同等である点については、被控訴人らの立証責任に属するというべきところ、右に判示の諸点を総合勘案すると、右立証が十分尽くされているとはいえず、本件係争期間中前記被控訴人ら各人と前記各対象同期入関者との勤務実績が同等であったと認めることは困難であって、むしろ劣っていたことが窺われないでもない。

3  被控訴人組合を除くその余の被控訴人ら(ただし、承継者についてはその被承継者)の執務に関連して見られた性格、能力、適性

(一) 非違行為について

右被控訴人らがなした非違行為(その回数、態様、これに対する処分等)及び被控訴人組合員が他になした違法行為に関する証拠及び事実認定並びにこれに対する被控訴人らの反論が採用できないことは、次のとおり付加、訂正するほかは、原判決二八一頁目末行の冒頭から同二九一頁目九行目の終わりまで、及び同二九五頁目四行目の冒頭から同二九九頁目九行目の終わりまでの記載のとおりであるから、これを引用する。

(1) 同二八一頁目末行の「二九〇五、」の次に「検乙二〇ないし四七、」を、同行の「伊藤守」の次に「(第二回)」を、それぞれ付加する。

(2) 同二八二頁目一行目の「板東邦治」の次に、「、同下垣満郎」を付加し、同二行目の「原告組合員一覧表」を「原判決添付の非違行為に関する各表(ただし、原告番号53上西弘に関する部分を除く」と改め、同八行目の「受けたこと」の次に「(なお、同表記載のとおり、本件係争期間中の非違行為により、その後懲戒処分又は矯正措置を受けていること)、また右非違行為の態様等は、本判決添付の別紙の原告非違行為一覧表(ただし、原告番号32米田勝彦については、右表及び昇給、昇格及び非違行為一覧表)記載のとおりであり、大阪税関当局の度重なる警告を無視して何回となく繰り返され、執拗かつ過激であって、右当局はこれに対する対応に難渋し、執務に多大の打撃を受けた(執務を妨害されて事務が停滞、遅延等をし、貼られた多量の違法な文書を剥がし清掃するのに多数の職員がかなりの労力を要した等)こと」を付加する。

(3) 同二八三頁目五行目の「(2)」を「(二)」と、同一〇行目の「確かに」から同二八四頁目四行目の終わりまでを「しかし、被控訴人ら主張の目的はともかくとして、右非違行為の態様は前記認定のとおりであり、大阪税関当局の度重なる警告を無視して何回となく繰り返され、その態様も執拗かつ過激であって、公務員倫理に悖り服務規律違反等の違法なものであるから、到底正当とはいえないものである。」と、それぞれ改める。

(4) 同二八五頁目三行目の「判決」の次に「民集三三巻六号六四七頁」を付加する。

(5) 同二八八頁目四行目の「伊藤守の証言」の次に「(第二回)」を付加し、同五行目の「春ころから」から同九行目の「すると、」までを「春ころから右規則違反の非違行為が頻繁に激しく繰り返されるようになったからであり、それまでも被控訴人組合員において右非違行為はなされていたが、その回数等はそれ程でもなかったことが認められるので、」と、同末行の「原告平野卓也」を「訴え取下前の原審原告平野拓也」と、それぞれ改める。

(6) 同二九〇頁目五行目の「判決」の次に「民集三一巻七号九七四頁」を付加する。

(7) 同二九一頁目九行目の「なるものというべきである。」を「なるものというべきであるところ、右撤去を求められた文書全部が右掲示を禁止された文書に該当することが認められる(なお、ストライキ宣言文言、ストライキ文言が入ったものは、いずれも、その文言自体から公務員に禁止されたストライキを煽ると理解されるものであることが認められるから、右掲載を禁止された文書であるというべきである。)。」と改める。

(8) 同二九五頁目五行目の「行為の圧倒的大多数は、動機の点はともかく、その行為自体は」を「行為の全部は、その動機はともかくとして、」と改め、同末行の「伊藤守の証言」の次に「(第二回)」を付加する。

(9) 同二九六頁目二行目の「押し掛け、」の次に「玄関ブザーを押し続け、玄関扉を叩き続ける等に及んだ後に、」を、同四行目の「総務課長が、」の次に「被控訴人組合支部長の」を、同末行の「乙二九〇四、」の次に「三一六五、三一六八、三一七〇、検乙一五、」を、それぞれ付加し、同行の「小井田治郎」を「小井田治朗」と改める。

(10) 同二九六頁目末行から同二九七頁目一行目にかけての「原告組合員は、同四七年二月ころ、」を「同四七年一月ころから、被控訴人組合は、被控訴人畑範子と北山の結婚問題に町田が介入したのは人権を侵害し、組合破壊につながる不当労働行為であると抗議行動を展開することになり、同月二七日本関総務課長及び町田が新聞記者と会見することになったが、被控訴人組合員が多数詰め掛け、会議室の扉前に立ち塞がって、退出を妨害し、総務課長に面会を強要し、多人数でこの喧騒状態では話し合いに応じられないとして退出しようとする総務課長を制止して小競り合いとなり、その際、総務課主任が同組合員らの集団を分断しようとして廊下中央部の防火扉を閉めようとしたところ、被控訴人小谷が強引に扉を開こうと押し戻したため、同主任は同扉と引き手と壁の間に指を挟まれて傷害を負った。また、同月二八日、同組合員七名が右抗議のため富島出張所長室に押し掛けて来たので、同所長が勤務時間内で、現在仕事中であるから、自分の席に帰るよう再々退出を命じたが、これを聞き入れず、抗議を続け、このため同所長は、無為替承認三件の決裁ができず、輸入通関手続が遅延し、輸入業者に迷惑を掛けた。そして、更に同月二九日と同年二月二日には、同組合員は、」と、同四行目の「を配付したこと」を「合計約一二〇〇枚(そのうち顔写真入りは約一〇〇〇枚)を配付し、また同年一月三一日の早朝には、「結婚問題に介入し、組合脱退をそそのかした町田課長の罷免と大阪税関長の謝罪を要求する。全税関大阪支部」などと書かれた畳四帖大の看板を合同庁舎前路上に、また富島出張所周辺に縦二メートル横一メートルの同様の立て看板三枚を立てたこと」と、同七行目の「配付する行為は」を「配付した行為や右認定の面会を強要して退出を阻止した行動は」と、それぞれ改める。

(二) 出勤状況について

この点に関する証拠及び事実認定は、原判決二九九頁目末行の冒頭から同三〇七頁目二行目の終わりまでの記載(ただし、同三〇六頁目末行の「正確な」から同三〇七頁目二行目の「得ない。」までを「正確な比較は困難であるが、右休暇日時が被控訴人組合の活動時期とほぼ符合するものであることが窺われ、またその回数が多すぎると考えられるものもあることを考慮すると、概して、前記被控訴人らの休暇日数がその各対象非原告組合員〔最も昇給等の処遇が低い者〕のそれよりも多いことが窺われないでもない。」と改める。)のとおりであるから、これを引用する。

(三) 非違行為等が執務に関連して見られた性格、能力、適性に与える影響

この点に関する当裁判所の判断は、原判決三〇七頁目四行目の冒頭から同三〇八頁目四行目の終わりまでの記載(ただし、同三〇七頁目四行目の「国家公務員は、」を「国家公務員である税関職員の職務は、前記2(一)において判示のとおりであり、」と、同六行目の「国民の行動を規制すべき」を「国民に対し直接公権力を行使する等してその行動を規制し得る」と、同八行目から同九行目にかけての「遂行することが厳に要請されていること、」を「遂行することが要請され、したがって、職務の内外を問わず、法令、規則を誠実に遵守する態度を保持することが厳に要請される(勤務成績の評定においてもこの点が重視される。)こと、」と、同三〇八頁目三行目から同四行目にかけての「観念的、抽象的にはこれを肯定すべきである。」を「当然であるといわねばならない。」と、それぞれ改める。)のとおりであるから、これを引用する。

四  そこで、以上認定の諸点を総合勘案して、被控訴人組合を除くその余の被控訴人ら(ただし、承継者についてはその被承継者)の前記各格差が大阪税関当局の差別意思(同組合員であることやその正当な活動をしたことを理由とする差別)により生じたものであるかについて判断する。

1 ところで、前記判示したところによれば、税関当局においてその職員に対し昇給等の処遇をなすに当たっては、給与法やその実施要綱の人事院の規則に規制され、その規制の趣旨は職員の勤務成績を適正に評価し、これに見合った処遇をなすべきであるというに尽きるものであるが、この場合、勤務成績は勤務実績、執務に関連してみられた性格、能力、適性を総合して評価され、その評価及びこれに対しどのような昇給等の処遇をなすかの判断は、右のような広範な事情等を総合して考慮してなされるものである以上、平素から庁内の事情に通曉し、部下職員の指揮監督の衝にあたる者である税関長の裁量に任されていると解するのが相当である。しかし、右の裁量は、恣意にわたることは許されないことは当然であるが、右評価や処遇等が社会観念上著しく妥当性を欠き、裁量権を付与した目的を逸脱し、これを濫用したと認められる場合でない限り、その裁量権の範囲内にあるものとして違法にはならないものというべきである。

2 そこで、右の点をも斟酌して考察するに、前記認定のとおり、右被控訴人らについては、本件係争期間中において、その各対象の非原告組合員(昇給等の処遇が最も低い者)と勤務実績が同等であると認めることは困難であり、むしろそれよりも低いことが窺われないでもないこと、全員が非違行為に及んで、ほとんどの者がこれにつき処分され、その期間はほとんど本件係争期間の全域に及び、回数は多数で、態様は執拗、過激で、税関職員に強く要請される遵法精神に著しく欠け、また概して休暇日数は多く、そのため、右被控訴人各人の執務に関連してみられた性格(責任感等)、能力、適性はかなり劣悪であると評定されても止むを得ないものであり、大阪税関当局においてそのような評定をされたことが十分推認できること、なお、右各非違行為の目的が組合活動にあるとしてもそれによって右行為が正当化されないことはいうまでもないところであり、また右評定は、右被控訴人らが被控訴人組合員であることやその正当な活動をしたことを理由とするものではないから、国家公務員法一〇八条の七に違反しないものであること、更に、前記認定の事実によれば、右被控訴人らのうちには、非違行為に及んだ後の近接した日に昇給等をしているものがあるが、非違行為とこれに対する懲戒等の処分との間には直接的な関連性があることは当然ではあるけれど、昇給等の処遇は、過去に遡り、また将来を展望する等して各職員の勤務実績や執務に関連して見られた性格、能力、適性等を総合して評価がなされるものであり、したがって、非違行為の有無やその態様は右総合評価の一つの事情にすぎなく、またその際の昇給等の人数枠、予算等にも配慮して昇給等が決定されるものである(証人伊藤守の証言〔第一、二回〕)から、非違行為と右昇給等との間に必ず関連性があるとはいい難く(非違行為に及んだ者でも他の点をも考慮して総合評価して、昇給等が相当であるとの判断に達する場合もあり、またその際の昇給人数や予算の枠内での選別上他により勤務成績が劣る者がいる場合には右非違行為者に対して昇給等の処遇を決定することもあると考えられ、なお、前記認定のとおり、右被控訴人らのなした非違行為はほとんど被控訴人組合の活動に関連してなされたものであるので、右非違行為をなしているにもかかわらず、昇給等の処遇がなされているのは、むしろ、前記当局が被控訴人組合を敵視していない証左であるともいえる。)、したがって、前記当局が右被控訴人らに対する昇給等の処遇に当たって右非違行為を考慮していないということはできないこと、そして、右被控訴人ら各自に当たってその各前記対象者と比較してその処遇を検討してみるに、本件係争期間の当初において既に格差の生じている者については、その過去にそれなりの事由があり(休職等)、これが右係争期間中の処遇の格差に影響していると推認でき、また前記認定の諸事情により認め得る右各人の勤務実績、執務に関連して見られた性格、能力、適性をその各対象の非原告組合員(昇給等の処遇が最も低い者)と比較してみても(右対象者にはこれらのマイナスに評価される事情はない。)、その処遇がこれらの者より低いのは、同人よりもその各勤務成績が劣るためであると評価された結果であることが十分推察でき、その評価及びこれに対する処遇は大阪税関長に任された前記裁量の範囲に属するものであるということができること、なお、右被控訴人らの昇給等のうちには、それがその非違行為の回数や態様、休暇日数に鑑みても他と比較して遅すぎると見られないでもないものがあるが、前記説示のとおり、これらは昇給等を考慮する一事情にすぎないので、これらの事情と昇給等が機械的に比例してなされるとはいい難く、右処遇が税関長の裁量の範囲内に属することや他に右処遇の不当性を的確に裏付ける証拠もないこと考慮すると、右の実状だけから右処遇が差別意思に基づくと断定することは困難であること、また、本件の場合、右被控訴人らと他の職員とを全体的総合的に比較検討してみても、必ずしも正鵠を得た正しい結論を見出すことにならないことは争点一において既に判示のとおりであること、そこで、以上の諸点を斟酌すると、右評価及びこれに対する処遇が大阪税関長の右裁量権を逸脱した、差別意思(被控訴人組合員であることやその正当な活動をしたことを理由にする差別)に基づきなされたものであると認めることは困難であるといわなければならない。

(争点四〔違法性〕について)

大阪税関長の本件係争期間中における被控訴人組合を除くその余の被控訴人ら(ただし、承継者についてはその被承継者)に対する前記各処遇が裁量権を逸脱した差別意思に基づくものであると認めることができないことは、争点三において既に判示のとおりである。そうすると、大阪税関長の右被控訴人らに対する右各処遇が不法行為を構成することは認められない。そして、また右税関長が被控訴人組合に対しその団結権を侵害する不法行為をなしたことは、これを認めるに由ないものである。

第四  結論

以上判示したところによれば、大阪税関長が本件係争期間中被控訴人ら(ただし、承継者についてはその被承継者)に対し被控訴人ら主張の不法行為をなしたことを認めることはできないので、その余の争点(右被控訴人らの損害の有無)について検討を加えるまでもなく、被控訴人らの各請求はいずれも理由がなく、これらを棄却すべきである。

よって、右と判断を一部異にする原判決中被控訴人らに関する部分は一部不当であり、控訴人の本件控訴は理由があるから、これに基づき、原判決中被控訴人らに関する部分のうち控訴人敗訴部分を取り消して、被控訴人らの各請求をいずれも棄却し、被控訴人らの附帯控訴は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法九六条、八九条、九三条に従い、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官宮地英雄 裁判官山﨑末記 裁判官富田守勝)

控訴人の主張、被控訴人らの主張〈省略〉

別紙〈省略〉

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